気になっていました、ずっと。毎日のことですが、乗り合いバスを利用する人々を見ていると、なぜかほとんどの人は一般座席(優先席以外を、ここでは一般座席と敢えて呼びますが)が空いていても躊躇(ためら)わずに優先席に座ります。それは通勤電車も同じです。私は通勤に総武線の各駅停車を始発の千葉駅から利用しています。ホームでは整列乗車のルールを守り、きちんと整列して電車を待つところまではいいのですが、いざドアが開くと、先を争って優先席に座る人たち。見ていると、一般席がたくさん空いているのに・・・。あるときは、小学生くらいの子どもを連れた元気そうな(おそらく、ですが)親子までが・・・
★短歌<空席を 除けて座った 優先の 若き親子の 先の我が国>★
先日、いつものように千葉駅から乗車しましたが、津田沼駅あたりで足の不自由な初老の男性が乗り込んできました。腕に固定できるような杖?あれはなんていうのでしょうか、片方の腕にそれをつけてついていました。朝の総武線各駅停車は、隣の西千葉駅を過ぎるとポツポツとあった空席も埋まり、津田沼駅あたりでは相当数のお客さんが立っていて満員電車の様相が強くなってきます。その男性は仕方なく入口に一番近いところで、片手は吊革、片手は杖をついて立っていました。私は車両中央よりやや入口寄りの座席で、膝の上でいつものようにパソコンを広げて仕事をしていました。その男性が乗り込んで来たのに気付き、男性の近辺に座っている人たちをそれとなく見やってみると、男性の真ん前には若者が、その隣には中年の男性が座っていました。そして足の不自由な男性の隣には若い女性が立っていました。私の前には中年の女性が吊革を手に立っていました。(当然)近くの誰かが席を譲るだろうと考えてしばらく見ていると、その気配がありません。仕方なく私はパソコンを閉じてバッグにしまうと、「お座りになりませんか」と努めてはっきりとした声を男性に向かって発しました。そのまま立ったのでは、他の人に座られるとも考えたからです。男性は「ありがとうございます」と恐縮気に応じてくれました。私は立ってバッグを網棚に上げ吊革につかまると、周囲をそれとなく見渡しました・・・
★短歌<声出して 席を譲りし 我見えぬ 聞かぬ存ぜぬ 万人電車>★
バスでも電車でも見るこの光景。いったい「優先席」とはなんでしょう?「優先」であって「強制」ではないと考えているのでしょうか?また、そういう人が目の前に来たらそのときに譲ればいい、と考えているのでしょうか?それともまったく(「こころの目」を含めて)見えない、のでしょうか?私は毎日こういう光景を見ていますが、そうやって最初から優先席に座った人が実際に席を譲る姿をほんの1・2回見た程度です。悲しいことだと思います。
横浜市営地下鉄では「全席優先」と宣言しているそうですが、私も自然な形での「全席優先」こそが、本来のいたわりや思いやりの姿だと思います。「全席優先」についての様々な意見の中には、「優先席」と名付けているから多少なりとも抑制がかかっているのであり、このまま「全席優先」としてしまうだけなら、かえって譲り合いが減ってしまうだろう、というような意見もありました。反対に「優先席」と決めてしまうことで、一般席では譲らなくてもいい、と暗黙の誤った誘導をしてしまいそうな懸念もあります。どの意見にも一理あって、単に「全席優先」と宣言しただけでは「優先席に平然と座る」風潮が是正できるとも思えません。
「今現在」とは、都市化や科学の進歩・利便性の追求・人口の増加・生活様式の変化などを伴った時間の変遷の中で、人間の「こころ」が徐々に変化している過程でしかないのです。もしかすると「体が不自由な方が立っていても、いたわりや思いやりの「こころの目」が全く見えないのかもしれません。言葉やルールで「全席優先」をいくら叫んでも、また義務やマナーとして機械的に教え込んでも、親から子へと繰り返し繋がっていく命の繋がりのなかで、いたわりや思いやりといった人の「こころの目」が育たなければ、真の「全席優先」は絵に描いた餅でしかないのです。さらに「大げさ」(・・とも思っていませんが)に言えば、それは「戦争」の種にすらなる、と考えてしまうのは私だけでしょうか?
マナーや倫理観が崩れ、ルールが生まれ、それがまた崩れて、新しいルールができる。私には悪循環のなかで屋上屋を架しているとしか思えないのです。大切なのは、変化するのは当然のこととして、その中でも人間として「普遍・不変のこころ」を見失わない個々人の生き方と、それを育む「真の愛情にあふれた家庭教育力」の復活ではないでしょうか。(「復活」としたのは、1層目の屋上屋を架す前があったと確信しているからです。それは、産業革命あたりまででしょうか。)
それには「足るを知る」生き方やそれを育む為の血の通った教育理念と、世代交代に拘わることのない長期不変的な教育政策が必要なのです。五十嵐