町内の方が講師を.手芸教室開催

2月23日(日)。合同会館にて。 町内の15班の班長さんが快く講師を申し出てくださり、「手芸教室」が開催されました。 手提げバッグに好みの絵柄のついたペーパーナプキンを貼り、乾燥させて定着させるのですが、薄手の紙を糊でシワを寄せずに上手に貼るところがポイントのようです。 電気容量が足りずに、複数のドライヤーを使うとブレーカーが落ちる、というアクシデントもありましたが、最後は、御覧の通り、皆さんの「笑顔」で終わることができました。 普段の何気ないコミニケーションですが、小さな積み重ねが「助け合い」や「円滑なコミニケーション」の基本となることは間違いありません。 講師をはじめ、参加された皆さん、ありがとうございました。(^^♪

2月9日 千葉市観測史上最高33cmの積雪

本当にここが千葉市?
目を疑うような、朝の雪景色でした!!
昭和41年に観測を始めて以来だとか・・・
大網街道もご覧の通り!!!まるでどこかのスキーリゾートにでも向かう国道のよう?
・・・といつまでも雪景色に見とれてもいられません。
何しろ、このままでは、車も通れず、人がやっと歩ける程度。次男を仕事に送り出すために階段から雪かきを始めました。そのうちに一人、二人とスコップを手に、家の前に雪かきに出てきました。
とりあえずの雪かきをしてなんとか車を出し、昨日のうちにチェーンを装着した車で、やっとの思いで私が次男を送って帰ってくると、どの家の前でも家族で雪かきをしているではありませんか。
私も負けてはいられません!妻も、息子も、娘も出てきて、一家総出。お隣さんも、お向かいさんも、みんな出てきて、なんだかうれしくなってきました。同じ班のUさん曰く・・「こんなコミニケーションもあるなら、たまには大雪もいいですね」(^^♪、ですって(^_-)-☆
それから、お昼を回る頃まで、まさに町中が総出で雪かきをしていたようで、午後にはもう町内のほとんど、車が走れるようになっていました!!
高齢者が多いのは確かなのですが、こんなふうにして皆が協力して町の仕事をするなんて、うれしいですね~~感謝。

東京タワー⇒スカイツリー<町内バス旅行>

11月14日(木曜日)
予約から半年たった11月。やっと念願のスカイツリーに昇ってきました\(^o^)/
浜離宮⇒東京タワー⇒浅草⇒スカイツリーの強行日程でした。天候は午前中は晴れ、午後は薄曇りでした。
スカイツリーからの眺めは、ひたすら「高い~~~」でした。航空写真を見ているような眺望でした。
残念なのは、富士山が見えるほど澄み渡っていなかったことでしょうか・・・
第1展望台(350m)までで、展望回廊(450m)は時間の都合で行けませんでした。
リベンジしようかなぁ(^_^)/

「つぼやき」 いが

空き瓶は・・・
 中身が入る前は、容器。
 中身が入れば、商品。
 中身が無くなれば、ごみ?
 でも、また瓶に生まれ変わるのであれば原材料、花を活ければ花瓶。
お菓子の空き袋だって、果物の皮だって、魚の骨だって、動物のウンチだって、
蝉の遺骸だって同じだ。
ごみとは、実体のないもの。
ごみとは、定義の無いもの。
自分にとって不必要で、邪魔なものはごみ。
たとえそれが、別の人にとって必要でも、地球にとって有害でも・・
ごみとは、それぞれの心が決めるもの。
自分の心のごみ箱が溢れていないだろうか・・
自分にとっていらないもの、ではなく、誰にとって必要か、を考える人でありたい。
人間であるために・・
今日もバスの優先席は若い人が占領している。
その傍らで、お婆さんが手すりにつかまって立っていても。
そして、その様子を横目で盗みながら、何も行動しない私も、ここにいる。
自分の心のごみ箱が溢れていないだろうか・・
明日は、バスの中で皆さんにお願いしてみようかな。
心のごみ箱を、ひっくり返してみようかな。
自分であるために・・
いが

行動する勇気を褒める~通勤バスでの小さな出来事~

2013年8月28日(水)の朝の通勤バスでのことです。
・・私はいつもの通り「ゴミ拾い・挨拶活動」の日課を済ませ、7時35分頃、星久喜台のバス停から千葉駅行きのバスに乗りました。停車したバスはかなり混雑 していて、部活動の試合に向かうらしい松中生徒が多数立っていました。私が「おはよう」というと、口々に「おはようございます」と気持ちの良い、はっきりとした挨拶が返ってきました。私は、一番後ろの座席に詰めればまだ座る余地があったので、立っている生徒達に声をかけながら後ろに移動し、既に座っている方々に声をかけて詰めてもらって着席しました。あらためて生徒達の恰好を見ると、どうやら卓球部のようです。その時点で、私の目の前には入口に比べて人が立てる空間がかなりありました。やがて次のバス停に停まり、新しく数人が乗り込んできました。すると、生徒の集団の最後部(私に一番近い)に立っていた一人の男子生徒が、入口の混雑を察したのでしょう、後部に向かって移動したのです。その生徒はしばらく自分から離れてしまった格好になった仲間を見ていましたが(他の仲間も移動して欲しいと考えていたと思います)、仲間たちも他の乗客も誰もそれには追従しませんでした。私は下がったが為に仲間との距離が開いてしまったその男子生徒を見ていましたが、仲間のところに戻ることもせず、一人で堪えているようにも見えました。私は、自分のとった行動に対して自信が揺らいでいるであろう彼に一言声をかけてやりたい衝動に駆られ、少し座席から身を乗り出してその子に声をかけました。卓球部 であること、電車で試合に行くこと、他の部活動の活躍のこと、etc・・など、やり取りしました。最後に私は「あなたがバスの混雑状況を見て、後ろに下がったところをを見ていました。誰もついてこなかったけれど、一人でも行動したあなたは素晴らしいですよ。 今日は熱中症に気を付けて、ガンバッテね」と声をかけました。
・・行動する人、行動したいが他の様子を見る人、何とも思わない人。それぞれの集合に分かれてしまうのは仕方がないことです。しかし、それぞれの集合の良し悪しを唱えるのではなく、一人でも正しいと思ったことを行動するその勇気を大切にしたい、と強く感じた出来事でした。
・・保護者や学校教育の賜物だと思います。皆様に感謝致します。

つぶやき「塩花」=しよばな=

地域の風習とこころ・・・新島「塩花」しよばな
新島村の出川長芳村長のお手紙を地元の居酒屋「かみやかた」で拝見しました。その中に「塩花(しよばな)」という新島村の風習が出てきます。
家族などの愛する人との別れ、漁や航海の安全、自然の恵みへの感謝・・・愛する人が船で発った後、涙の乾かぬうちに波打ち際に出て、寄せた波が引いた直後、まだ水泡が残るうちにその砂を握ってそのまま外気に晒さずに家に持ち帰り、神棚や「かみやかた」(台所)のかまどなどに祀る、これを「塩花」しよばな、と呼んできたそうです。
小さな島での暮らし。男は家督を継ぐ長男を残し、女は長男の嫁になるものを残し、ほとんどが島を出るという。そんな子どもを抱える親たちは、まだ十代の我が子が船に乗って出てゆくその日を、どんな気持ちで見送ったのでしょうか。まずは、乗り込んだ船が無事に目的地に着きますように。今夜から食事をちゃんと食べ、ちゃんと屋根の下で寝床に入って眠れますように。早く学校や職場に慣れますように。病気をせず、事故や事件にあわず、元気に暮らせますように。たまには元気な顔を見せてくれますように・・・子を想う親心とは、どこにあってもそうではないでしょうか。そんな我が子の乗った船が水平線の彼方に見えなくなるまで見送り、涙をぬぐう間もなく、波打ち際で寄せた波の返り際に泡ごと砂を掴んで大事に持ち帰り、「塩花」として神棚に祀り、手を合わせて祈る。
また、日々の暮らしにあっては、台所のかまどに「塩花」を祀り、今日の食に感謝し、海や山、自然の恵みに感謝し、豊漁を祈り、漁に出た男衆の無事を祈る。
自然の恵みに感謝しながら寄り添って島に暮らす人々と、かけがえのない素朴な愛情。私はこの手紙を何度も読み返し、胸が熱くなるのを抑えられませんでした。
◎短歌<膝と尻 破れたGパン 流行る世に ほころびを縫う 母思い出し>
◎短歌<寒かろう 毛布一枚母に足す 気付けば我に 戻るぬくもり>
五十嵐

つぶやき「市役所などは休日も窓口を開けてほしい」

6/23都川にて

6/23都川にて

行政の夜間・休日サービス
以前から不思議に思っていたことがあります。住民票や印鑑証明、転出・転入届け、納税証明・・・これらの受領や届け出をしようと考えた時、さて、いつ休暇がとれるかな・・・と考えなければなりません。実際に平日に市役所や区役所、出張所の窓口に行ってみると数分~長くても30分もあれば片付くことが多く、仕事を半日、1日休む程の事ではありません。しかし休日にこれらの窓口は開いていないのです。何故土曜・日曜の行政サービス窓口はお休みなのでしょうか?年中無休の市役所コールセンターがありますが、これはあくまでも問い合わせに対する情報窓口であって、窓口業務を行うものではありません。
なにも、地方公務員のみなさんに休むな、と言いたいわけではありません。民間で当たり前にやっているようにローテーションを組み、休日出勤した場合は代休を取ればよいのです。夜間のサービスについても出勤時間のシフトなどで対応できると考えます。たった一人の部署ならいざ知らず、民間のような仕組みが行政で運営できないとは思えません。
総ての業務での対応が難しければ、優先順位をつけても良いでしょう。
これらの一対策として、またサービスの拡充とコストダウンの為に同時並行で考えなければならないのが、ITの効率的な活用です。一部の電子申請などが始まっていますが、サービスメニューとしてはまだまだ足りません。セキュリティを十分に確保したうえで、電子化できるサービスはどんどん導入して、サービスレベルアップ&省力化&コスト削減を図るべきでしょう。
これらに係る費用の捻出が難しければ、県や国レベルに働きかけて、業務フローの共通化を図り、統合的なシステム構築を考えるべきでしょう。市町村合併はその為にも推進されている筈です。地方自治体に固有の業務もあるでしょうが、基本部分はそれほど異なるとは思えません。
考え方の根幹に置かなければならないのは「行政窓口業務」はあくまでも「サービス」であり、住人の為に便宜を図らなければならない、ということでしょう。民間の競争を横目で睨んでいないで、積極的に学び、競争の渦中に飛び込むような勇気も必要なのです。
五十嵐

つぶやき「ごみゼロネット=GONET=ゴネット」

都川から回収した大量のゴミを片づける中学生たち

都川から回収した大量のゴミを片づける中学生たち

<千葉県下に広がるボランティアネットワーク「ごみゼロネット=GONET=ゴネット」>
私がGONET(ゴネット=ごみゼロネットちば21)の仲間に入れてもらって何年になるか・・(多分10年くらいかなぁ)。いまだに驚きと感動、気付きの毎日を送れるのはGONETのお陰だと思っています。毎日の通勤途上での「挨拶&ごみ拾い」活動も何とか続いて10年目。(地元の松ケ丘で2、000日、千葉駅前で300日を超えました。)放っておけばゴミとして燃やされるペットボトルキャップも、リサイクルすれば立派な建築材料になります。GONETを窓口にしてこのペットボトルキャップの回収を初めて6年目。今までに回収した量を集計してみると金額で約80,000円(8,000kg)になりました。商店会での回収、学校での回収、地区の行事(盆踊りや運動会(今年はインフルで中止))での回収もお陰さまで定着してきました。地域の方々のご協力とGONETの人間ネットワークに感謝するばかりです。ありがとうございます。
GONET活動をしていていつも考えることは「ごみって何だろう」です。缶ジュースは、中身を飲んでしまえば空き缶は「ごみ」なのでしょうか?そもそも、中身が入る前は最初から空き缶ではないでしょうか?これは、缶・瓶・他の容器でも同じことが言えます。さらに包装紙だって同じですね。いったい、ごみはいつからごみでしょう?答えは、それを「不要と思う」人間の心が決める、ということだと思います。飲み終わった空き缶でも、それを工作などに利用しようとする人にとっては、材料かもしれません。包装紙だって裏側は立派なメモ帳や子どもたちの折り紙にだって最適。
こう考えると「不要と考える人間のこころ」を考えなくてはなりませんね(._.)
さて、いままでにどんなことに驚いて、感動し、気づいたかって?・・・以下、手前味噌の川柳・短歌にて発表させていただきます<m(__)m>
◎ゴミ出しの 回数減りて 増えたもの その日以外の ゴミ出し日<マナーの荒廃もさることながら、この施策でゴミは減るのでしょうか?>
◎オリオンが 流星で線 引いて消す 我が願う慾 ひとつ残らず<オリオン座流星群。私のあれが欲しいこれが欲しいの願い事は総て却下。結局のところ「足るを知る」が総てですね~>
◎外来が 生態系を 乱すなら 人類の罪 比ぶものなし<1960年に現在の天皇陛下にアメリカから贈られたブルーギルが日本の淡水魚の世界を席巻している同魚の総ての元だったことが判明したって?それならば、外国の農産物やペットなど好き放題日本に持ち込んで来た、日本人の歴史こそが生態系破壊の歴史では?>
◎割れ窓を 作らじ見せじ ごみ拾い 吐き捨てガムに 木枯らしの吹く<割れ窓理論、、、正しいことを体感しています。小さな綻びがやがて総てを壊します。壊れた窓は、放置せず早めに直さねば、、、>
◎街歩き キャップやタブが 溜まったと あちこちからの 声浴び嬉し<キャップ回収や毎日の「挨拶&ごみ拾い」活動のお陰で、街を歩いていると本当に沢山の方々から声をかけていただきます。パワーの源です。感謝>
◎枯れ葉散り ゲロピザ生地を トッピング<千葉駅前の植え込みにちょくちょく置き忘れあり。毎日、ごみ箱と化した植え込みのごみを拾う私もこれには閉口します。ちょっと汚いけれど、、、こんな季節の感じ方も(*_*;>
◎インフルの 予防のマスク 手でつまみ それでも吸うは 高生の意地<千葉駅前でごみを拾いながら高校生(もちろん大人も)の喫煙に声かけ。怖い顔で睨み返す彼らにも意地?があるんですね~(*_*;>
◎生ごみを 餌と呼び替え コンポスト 偏食ありの バクちゃん愛(いと)し<生ごみの自然分解用に購入したBH5。お陰で、我が家にバクテリア(バクちゃん)という生ごみを食べてくれるペット?が来ました~(^O^)/・・・結構好き嫌いがあるところが、またイイ!>
◎コンポスト バクテリアいて 減ったのは 生ごみの量 妻の体重<BH5とバクちゃんのお陰で妻が残り物を無理して食べるのが減り、体重も・・・(^O^)/>
◎肥桶を 担いで登る 山田道 母の教えし 資源循環<子どもの頃、生家の肥溜から汲み取った人糞を、山中にある畑まで担ぎ上げる母親の姿が目に焼き付いています。リサイクルの原点かも。おかあさん、ありがとう(._.)(;_;)>
◎フレディの 繋ぎしいのち 絵本事 舗装のゴミと 掃き捨てられて<少し前に話題になった「葉っぱのフレディ」は、最後に自分の命が次の命に繋がることに気付く。しかし現実は、アスファルトや公園に散った葉っぱは税金を使って回収され、燃やされている。次の命に繋がるどころか、邪魔者扱いである。>

松ケ丘GONET 五十嵐

つぶやき「あいさつ」ってなんだろう

 2003年7月9日。何をやっても中途半端な私が、一念発起して「あいさつ&ごみ拾い」活動を始めた記念日です。
毎朝、通勤バスに乗る前の30分ほど、自宅からバス停で3つ分ほど歩きながら、行き交う方々に「おはようございます」、通学の子どもたちには「おはよう、いってらっしゃい」と声をかけ、路上のごみを拾いながら歩いています。途中にある松ケ丘中学校では、正門からグランドへ回り、部活動の朝練習の子どもたちにもグランドに向かって大きな声で「おはよう!」と声をかけています。特別にお願いして、中学校に拾ったごみの処分をお願いしています。雨や、休日、仕事の都合で休むこともありますが(継続する為に無理をしないようにしています)、ほぼ10年が経過し、本日で2、015日目となりました。
さて、そもそも私が「あいさつ」に力を入れ活動する意味は、いったいなんでしょう?

始めた当初は、以下のような効果を期待していたものです。
1.街の子ども達に路上で声をかけることにより、地区内の大人と子どもの交流のきっかけを作る→非行抑制効果
 ・挨拶を交わすことにより子供の顔を覚える。
 ・子供は、小さいころから顔を知っている大人が多いほど、その街で悪事ははたらけない。
2.声かけにより、子どもや街を犯罪から守る→防犯効果
 ・近所との親交が盛んになり、それが監視の役目になり、ドロボウや凶悪犯罪をけん制する。
 ・怪しい人間などがチェックでき、犯罪防止となる。
 ・活動を行う様子を街や通行する車に見せることにより犯罪者へのけん制になる。
  (窃盗犯は昼間、営業員や怪しまれない格好をして下見しているそうです)
3.有害ビラなどの除去を行う→環境浄化(これは資格が必要です)
4.ごみを拾いながら歩く→環境浄化、割れ窓(環境悪化の元)の発生防止
 ・一軒の荒れ屋から環境が悪化し、やがて犯罪が起きるようになり、街が荒廃していく(割れ窓理論)
 ・一つのゴミを放っておくとやがて沢山のごみが捨てられ、そこから環境が悪化し、街の荒廃に繋がる。
5.交通危険個所、防犯危険個所・防災危険個所のチェック→交通事故防止、防犯、防災効果
6.街の大人の方々にも声をかけながら歩く→地域活性、防犯効果、コミニテ一ィの醸成
7.街全体で子ども達を育む姿勢を率先して見せることにより、地区内の雰囲気づくりをする→青少年健全育成
 ・こんな大人もいることを子どもたちに示す。
8.しっかり歩き、あいさつでしっかり声を出す。→健康維持、ストレス解消

 あれから、10年。上に掲げた「理屈」に誤りがあるとは思っていませんし、今でも期待しています。
ただ、活動を続けているうちに、私自身の心境に大きな変化がありました。
最初はボランティア精神旺盛で、誰もやらなくても、一人でも、ヤッテヤル!!なんて勢いに任せて始めたものでした。
ゴミの量も半端ではなく、ところどころに出来た小さな「回収されないゴミ捨て場」の存在に嫌気がさしたものでした。
「おはようございます」の声掛けも、子どもたちは元気にあいさつを返してくれるのですが、大人の挨拶の下手なこと、返ってこないこと・・。小さなゴミ捨て場は数回に分けて、少しずつ片付けたものでした。
 1年を過ぎて音を上げかけていたころ、偶然に地域でお世話になっている大先輩が、「私も始める」と、行動を共にしてくれたのです。これは、私にとって、この上ない力になりました。その先輩は今でも元気に続けていただいています。今思えばこのことが気づきの出発点だったように思います。子どもの為、人の為、街の為、正義の為、地球の為・・・と肩ひじを張って始めたことですが、実は、これを続けることによって見えない「力」を得ているような気になってきたのです。
 元気にあいさつをくれる子ども達。「ご苦労様です」、「お世話様です」と声をかけてくれる街の方々。バス停で「おはようございます」と挨拶をくれる小学・中学を経た高校生。庭先の掃除をする方々。毎朝すれ違う勤め人。少し元気がなく、心配な子ども。かたくなに返事をしない子ども。民家の軒先で毎年咲く季節の花々、春のうららかな陽光、夏の勢い、秋の爽やかな空気、冬の澄み切った青空。
張りつめ、構えていた私の心は、次第に解きほぐされ、癒され、いつしか、この日課を楽しむようになっていたのです。
 無宗教・無思想の私ですが、おかげで「生かされていること」に気付き、そして「感謝」することがなによりも大切であることが見えてきたのです。関心を持ち、感動し、感謝して生きる。この3カンの気持ちで、日々を生きていきたいと思っています。
最後に、何の意味も分からず、興味もなかったお経の一説・・色即是空・空即是色。形あるものに実は意味はなく、目に見えないものにこそ本質がある。このことをこころの一番底に据えて、日々を生きたいものです。
五十嵐

つぶやき「天皇陛下が持ち帰ったもの」

     ★短歌<外来が 生態系を 乱すなら 人類の罪 比ぶものなし>★
 天皇陛下が皇太子時代の1960年にアメリカから贈られ持ち帰った15匹のブルーギルが50年かけて数億匹まで繁殖し、日本の淡水魚の生態系を大きく変えたことがDNA調査により証明されたという。たしかにそのきっかけにはなったのだろう。
 しかし「生態系が変化しない」ことなどあるのだろうか?渡り鳥の足についた卵や糞に混じった種が、外国で繁殖することなど、当たり前に思える。それが確率的に低いというならば、農業・水産技術の革新とやらで、冬でもスイカを作り、マグロを養殖し、遺伝子を操作して命を弄ぶ人類の所業はどう釈明するのだろうか。グルメブーム、ペットブーム、ガーデニングブーム、海外旅行ブームや農水産の技術移転などにより元来自国には無かった様々な動植物が入って来ることは、紛れもなく確信犯的生態系の破壊ではないだろうか?
 そもそも、生態系の変化を懸念するのであれば、ここまで増殖し、他の生物を虐げて傍若無人に振る舞う人類こそ、地球の生態系を全く変えてしまった大罪の責めを負うべきだと思う。もはや、人類が地球環境のことなど無視して移動や生成させた命による生態系の変化は、どうしようもないのではないだろうか。私は専門家ではないが、生態系は変化するもの、と考えるのは間違っているのだろうか。
 人類の振る舞いを否定することなしに、生態系の変化だけを問題視する議論は、私には理解できない。
だが、責任の一端は、間違いなく私自身にもあることは間違いない。
五十嵐