天皇陛下が皇太子時代の1960年にアメリカから贈られ持ち帰った15匹のブルーギルが50年かけて数億匹まで繁殖し、日本の淡水魚の生態系を大きく変えたことがDNA調査により証明されたという。たしかにそのきっかけにはなったのだろう。
しかし「生態系が変化しない」ことなどあるのだろうか?渡り鳥の足についた卵や糞に混じった種が、外国で繁殖することなど、当たり前に思える。それが確率的に低いというならば、農業・水産技術の革新とやらで、冬でもスイカを作り、マグロを養殖し、遺伝子を操作して命を弄ぶ人類の所業はどう釈明するのだろうか。グルメブーム、ペットブーム、ガーデニングブーム、海外旅行ブームや農水産の技術移転などにより元来自国には無かった様々な動植物が入って来ることは、紛れもなく確信犯的生態系の破壊ではないだろうか?
そもそも、生態系の変化を懸念するのであれば、ここまで増殖し、他の生物を虐げて傍若無人に振る舞う人類こそ、地球の生態系を全く変えてしまった大罪の責めを負うべきだと思う。もはや、人類が地球環境のことなど無視して移動や生成させた命による生態系の変化は、どうしようもないのではないだろうか。私は専門家ではないが、生態系は変化するもの、と考えるのは間違っているのだろうか。
人類の振る舞いを否定することなしに、生態系の変化だけを問題視する議論は、私には理解できない。
だが、責任の一端は、間違いなく私自身にもあることは間違いない。
五十嵐