今日の写真:2013年1月22日撮影 東京駅(本文とは関係ありません)
2013.5.13 日記より
ほぼ満車で来たバスでした。が、やっとステップに乗り込んだバスの後部フロアには明らかに5~6人が立てるスペースがポッカリと空いていました。さらに最後部の横並びの座席は、詰めればあと一人は楽に座れます。私は、声をかけながら人垣を潜り抜けそのスペースになんとかたどり着きました。後部座席は誰か声をかけたのか、無駄な空きは無くなっていました。
2・3のバス停を過ぎるころには、その空きスペースは変わらぬまま、乗り切れないお客が出る始末でした。そのうち中ほどの座席が一つ空きました。脇に立つのはイアホンをしてスマホゲームに興じる若者。ところが、周囲はすし詰めであるにも関わらず、誰も座ろうとしません。運転手は詰めてくれるようにアナウンスし、後部扉から降ろしたり、前扉から載せたりして四苦八苦していました。
しばらくして見かねた私は、最後部から再び声をかけながら人垣を潜り抜け、その開いた座席に座らせてもらいました。元々まだ空きがあるが誰も立とうとしない後部スペースからの移動ですから混雑緩和には役に立っていません。そのまま、終点まで、お客の取りこぼしをしながら走り続けたバスでした。
そんなことにはまったく意識が及ばない、意識はあるがあと一歩踏み進む勇気が出ない、「詰めていただけますか」の一声が出ない、といったところが大方の言い分でしょうが「自分が行動すれば、あと一人乗ることができる。座席を必要としている弱者もいるかもしれない」と考えることもできるのではないでしょうか。
優先席から座席が埋まっていく乗り合いバス。通勤電車も推して知るべしです。意識が及ばない、関係ない、自分がやらなくても誰かが、勇気が出ない・・・。ここで私が言いたいのは、世の中は一人では生きて行けないこと、そして世の中は他人や社会、政治、が良くしてくれるのではない、ということです。自分はその他人・社会・政治の一部であることを忘れてはいけません。自分のあと一歩、あと一声、ちょっとした気配りの集まりが世の中ではないでしょうか。まず関わること、そして感じること、するとそこから感謝が生まれ、自分なりの一歩の原動力になる筈です。
いろいろ勝手なことを言っていますが、なにも自分が、大衆のなかで一人声を出す特異な出しゃばりになるべきだ、というのではありません。他人を批判して自分を正当化する論理ばかりが先行する今の世の中のように思いますが、一度自己を振り返り、総てを引き受けることから再スタートしてみたいものです。
by そらいろ ひで(五十嵐)